Montag, 7. Januar 2013

【松井引退】苦難を力に変えた「努力の人」 

【松井引退】苦難を力に変えた「努力の人」 
巨人で10年、大リーグで10年。日米を代表する希代のホームランバッターが、節目の年に重い決断を下した。国内復帰の待望論も渦巻く中で38歳が選んだのは、現役生活に終止符を打つという最後の選択肢だった。 日米で刻んだ通算本塁打数は507本。松井といえば豪快な本塁打が代名詞だが、本人は何よりも「試合に出る」ことにこだわり続けた。2006年のヤンキース時代、試合中に左手首を骨折したことによって途切れるまで、日米通算1768試合に連続出場した。 一方で、故障には悩まされ続けた。両ひざを相次ぎ故障したことは、走力も求められる外野手としては致命的だった。大リーグでは指名打者の出場も多かったが、外野手としての出場にこだわり、最後までボールを追う姿は印象的だった。 ボールを遠くに飛ばす天賦(てんぷ)の才能はもちろんだが、「努力の人」でもあった。巨人で若手時代を過ごしたジャイアンツ寮(川崎市)にある通称「松井部屋」。そこには、素振りを繰り返したことですり切れた畳が残され、新人選手入寮の際は見学するのが恒例行事となっている。言いも知れぬ努力の積み重ねが、スラッガーとしての根幹にはあった。 「苦しみやつらさこそが、生きている証しではないでしょうか。僕は、生きる力とは、成功を続ける力ではなく、失敗や困難を乗り越える力だと考えます」 自身の著書「不動心」(新潮新書)ではそう説いていた松井。苦難に満ちた野球人生だったが、それを受け入れ、力に変えてきたのも、「松井秀喜」という男の美学だった。(浅野英介)【産経新聞号外】松井秀喜 引退表明[PDF]
fdhsjfhdjksfdsfjjRelated articles:

Keine Kommentare:

Kommentar veröffentlichen